フィンランドのコーチ術が、日本のスポーツの現場に穏やかに浸透し始めています。
その背景を知る大きなヒントになったのが、フィンランド大使館で開催されたトークイベントでした。
バスケットボール、バレーボール、アイスホッケー──競技は違っても、登壇者たちの言葉の奥には“北欧らしい共通点”がありました。

左からスポーツジャーナリスト生島淳、イェスパー・ヤロネン、カスパー・ヴオリネン、ラッシ・トゥオビ、東京グレートベアーズのスタッフ野瀬将平
登壇したのは、横浜ビー・コルセアーズのラッシ・トゥオビヘッドコーチ(HC)、東京グレートベアーズのカスパー・ヴオリネン監督、同クラブスタッフの野瀬将平さん、そして日光アイスバックスのイェスパー・ヤロネンアシスタントコーチ。
日本とフィンランド、どちらの空気も知る4名が、それぞれの視点から「チームをどう育てるか」「日本の選手に何を感じているか」を語りました。
ラッシ・トゥオビ──小さな町が育んだ“役割を超えて支える”という文化

ラッシ・トゥオビHCが生まれ育ったのは、湖の多い町・ラハティ。選手として特別な才能に恵まれていたわけではありませんが、彼の原点にはフィンランドのコミュニティに深く根づく価値観がありました。
若いころの彼は、審判の送迎や会場準備、公式席のセッティング、試合MCまで、クラブに関わるあらゆる役割を担ってきました。

「上手くなくてもチームの一部になれる。その喜びがすべてだった」と振り返る姿は、肩書きではなく“支える姿勢こそがチームの力になる”というフィンランドらしさを象徴しています。
こうしたフラットな関係性は、北欧の働き方や暮らしにも通じるもの。
誰もが役割を持ち、誰もがチームの一員である──そんな環境が、自然と指導者としての彼を形づくっていったことが伝わってきました。
🏀 ラッシ・トゥオビ 横浜ビー・コルセアーズ ヘッドコーチ
2002〜2005年まで選手として地元ラッペーンランタのバスケットボールチーム「コリスリーガ」に所属。2005年に同チームでコーチのキャリアを始め、トルコ、フランス、イタリアのトップリーグでコーチを歴任した。2021年のバスケットボール・チャンピオンズリーグでベスト4。2022年6月にフィンランド代表ヘッドコーチに就任後迎えたFIBAユーロバスケット2022では、55年ぶりとなる樹準決勝に進出して7位に。ユーロバスケット2025では初のベスト4に輝いたことも記録に新しい。
カスパー・ヴオリネン──“正解を探す文化”に対して、対話でチームを育てる

フィンランドでも評価の高いカスパー監督が日本に来て最初に驚いたのは、選手たちが「正解」を強く求める姿勢だったといいます。

バレーボールは常に状況が変化し、瞬間的な判断が求められるスポーツです。監督の指示だけで試合が決まるわけではなく、仲間との呼吸やその場の判断が勝敗を左右します。
そのため彼は、日本での指導に“対話”を持ち込みました。
少人数で状況を話し合う時間をつくり、自分で判断できるように「大きなフレーム(枠)」を最初に示します。
そのうえで、過去の失敗に縛られず未来に向けて改善する「フィードフォワード」の考え方を取り入れ、選手が自分の可能性に目を向けられるようにしました。
カスパー監督が語った「自由とは好き勝手に動くことではない。フレームの中で創造することだ」という言葉は、フィンランドのものづくりにも通じる考え方です。
整った構造の中に、遊び心や自由なアイデアが息づく。それはスポーツにもそのまま当てはまると感じる場面でした。
🏐 カスパー・ヴオリネン 東京グレートベアーズ 監督
ユヴァスキュラ大学スポーツ学部でコーチングについて学んだ。セッターとしてプレーしながら2019年からコーチングを始めた。選手引退後はコーチ業に専念し、2019〜21年にライシオン・ロイム(フィンランド)のヘッドコーチに就任。2020〜21年ウルフドッグス名古屋、2021年フィンランド女子代表、2021〜23年に韓国のプロリーグで、それぞれアシスタントコーチを務めた。2024〜25シーズンは新生・東京グレートベアーズとしてスタートして以来初となるチャンピオンシップ出場を果たした。
野瀬 将平──フィンランドで体感した、“楽しむ”ことを軸にした強さ

フィンランドでのプレー経験を持つ野瀬さんは、日本との文化の違いを語るうえで“楽しむ”というキーワードを何度も口にしました。
もっとも象徴的だったのはアップの時間。フィンランドのクラブでは、アップがサッカーから始まることもあると言います。日本では「バレーボールを蹴るな」と注意されることがある場面ですが、フィンランドではむしろ自然な光景です。
練習中にはリラックスした会話が生まれ、練習後は雑談が広がり、無理のない距離感でお互いを尊重し合う。
そうしたコミュニケーションの積み重ねが、試合での強さにもつながっていくのだと語っていました。
さらに、フィンランドの生活を「落ち着いていて、日本と似た距離感があった」と表現し、派手さよりも“静かで丁寧な暮らし”があると教えてくれたのも印象的でした。
イェスパー・ヤロネン──“勤勉さと技術力の高さ”に驚いた日本の選手たち

イェスパーは、日本に来る前、日本の選手について「真面目で努力家」という印象を持っていたと言います。
しかし、実際に指導して感じたのは、その技術レベルの高さでした。

高校・大学で積み上げた競技力は非常に高く、プロチームに入った時点でフィンランドの2部リーグと肩を並べるほどのスキルを持つ選手も多いと評価します。
一方で課題と感じているのは、プレー意図の共有や、相手の動きをどう読むかといった“言葉による伝達”。
そのため、イェスパーは対話を丁寧に重ねながら、プレーの目的を言語化することに力を入れていると話していました。
🏒 イェスパー・ヤロネン 日光アイスバックス アシスタントコーチ
幼い頃からアイスホッケー選手として活躍。ハーガヘリア応用科学大学(ヴィエルマキ・スポーツセンター)にてスポーツ指導とマネジメント学を履修し、2015年から複数のチームでコーチの経験を積む。アイスバックスのコーチに就任した2024〜25年シーズンは、全日本アイスホッケー選手権大会およびジャパンカップ2024で優勝を果たした。父親は長年にわたり、フィンランド代表監督を務めたユッカ・ヤロネン氏。弟は2019〜20年シーズンにユクリカット(フィンランド)に所属し、日光アイスバックスと交流したこともある。
フィンランドのコーチングに共通する、“楽しむ・対話する・創造する”という姿勢

ラッシ、カスパー、イェスパー──競技も経歴も異なる3人ですが、語る内容には驚くほどの共通点がありました。
どのスポーツにおいても、まず大切にしているのは“楽しさ”。
楽しむことで続けられ、続けることで技術が積み重なり、自然と結果につながっていく。そこに、対話を軸としたコミュニケーションと、自分で決めて動く主体性が重なり、チーム全体の創造性が育っていくのだと言います。
努力至上主義ではなく、楽しさを出発点にする考え方。
これは北欧の働き方や教育、子育てにも共通する文化であり、スポーツという場がその縮図になっていることを教えてくれました。
スポーツは“文化をつくる場”。北欧の哲学は暮らしにもつながっていく
今回のイベントで何度も語られたのは、「スポーツは人を育てる場所であり、文化そのものである」という考えでした。
楽しむこと、対話すること、創造すること、そして未来へ向けて動くフィードフォワードの姿勢。こうしたフィンランドの価値観は、日本のスポーツだけでなく、働き方や家庭、コミュニティのあり方にも新しい視点をもたらしてくれます。
日本とフィンランド。距離は遠くとも、チームをつくる心は近い。
フィンランドのコーチ術は、これからの日本のスポーツや暮らしに、静かに、しかし確かな影響を届けていくはずです。
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